桂米朝と桂枝雀
師匠自身の顔立ちが端正であったことも手伝ってか、
もっとも江戸落語に近い、品のある、言い回しや振る舞いが格好のいい、
他の落語家のお手本となるような落語であった。
それに対し、枝雀師匠の落語は、「本当に師匠は米朝か」と言うほど、
相対する落語であった。
これは、米朝師匠の器の広さ、大きさのなせる技であったのだろう。
「天才」と呼ばれた枝雀師匠は、先天的な才能だけでなく、
「努力の天才」と呼ばれるほど、毎日毎日、練習を繰り返していたそうだ。
晩年は、それが悪い方向に出てしまったのかもしれないが、
「桂枝雀」という落語家の人生らしい、太く短い人生であったのではないだろうか。
しかし、師匠である米朝も話していたが、少し早すぎた。
一度、生でその姿を見てみたかったものだ・・・。